・基本コンセプト

・シンボルマーク

・目的と方針

・下関市の概要





































三方を大陸に開かれた海に臨み、また世界でも類まれな海峡という要衝を擁す下関の地理的特異性は、「結節の十字路」として、古代より中世、近世、現代にいたるまで、様々な歴史の舞台となってきました。
そしてその歴史は、言い換えるならば異なる意思、異なる価値観の「衝突」の歴史でもありました。
その幾多の衝突の波動のなかで、下関は自らの歴史を編み出し、まちのかたちを創造していきました。
下関というまちがその奥底に記憶するもの。
私たちは、それを「衝突からの創造」と捉え、本プロジェクトの基幹コンセプトと位置づけます。





シンボルマーク




「風」と「波」のうねり、「十字路」の様相を「下関」と「シーニック」の頭文字S≠ナ表しました。また、全体を構成する直線と曲線の調和によって「道」が象徴されています。




地域のねらい


<目的>
壮大な自然景観と歴史を持つ下関において、景観と地域の歴史、文化・観光資源を繋ぐ道路を下関の観光基幹ロードと位置付け、各地域の主要交流ポイント(情報発信施設等)を基点に、「訪れる人」と「迎える地域」の一体感を創出して地域の活性化及び観光交流人口の拡大を図る。


<方針>
車でのドライブに加え、ウォーキングやサイクリングによるスローツーリズムで、訪れる人が関門海峡や本州最西端のコバルトブルーの海岸線の景観や、日本の歴史の転換点に登場する歴史的遺跡に加え、豊かな田園景観等の空間を周回し癒しも満喫できる事業展開を図る



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下関市の概要


下関市は山口県の南西端、本州の最西端に位置し、関門海峡を隔てて九州に面する市で、古くから九州や大陸方面とを結ぶ内外交通の要衝として発展した港町です。
明治22年に赤間関市として、県下で最初に市制を施行、明治34年には現在の山陽本線が開通、英国領事館も置かれ、明治35年6月に下関市と改称、明治38年には関釜連絡船が就航するなど、日本の西の玄関として繁栄しました。

昭和17年に関門トンネルが開通し、交通の要衝としての地位が高まり、港湾、商工、農林、水産、観光と幅広い都市機能をもつ県下最大の都市に成長し、昭和33年の関門国道トンネル、昭和48年の関門橋の開通などに伴い、大きく市勢が発展しました。

そして平成17年2月13日、下関市と豊浦郡4町(菊川町、豊田町、豊浦町、豊北町)は合併し、「自然と歴史と人が織りなす交流都市」を基本理念とする新「下関市」が誕生。
豊かな自然や歴史、文化を活かした街づくりや世界に開かれた街づくりが進められています。
※平成17年10月 中核市に移行


人口 291,558人 (平成19年11月末日現在)

面積 715.89平方キロメートル

>下関市ホームページ



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